vol.1 インディアンの時代
vol.2 植民地時代
vol.3 イギリスからの独立
vol.4 アメリカ合衆国のはじまり
vol.5 西部開拓の時代
vol.6 北部と南部
vol.7 南北戦争
vol.8 合衆国再統一
vol.9 産業革命
vol.10 新移民たち
vol.11 第一次世界大戦
vol.12 繁栄と不況の時代
vol.13 ニューディール政策

 

vol.8 合衆国再統一

南北戦争終結後、合衆国憲法修正第14条により、かつて奴隷だった全ての黒人たちにも市民権が与えられ、彼らは自由民(Freedmen)と呼ばれるようになりました。戦後の南部は壊滅的でその傷跡は大きく、街や農地のほとんどが破壊され、人々は職もなく多くのものを失いました。

戦後の時代は再建の時代(Reconstruction)とも呼ばれ、連合国に加盟していた南部諸州が立ち直るまでに10年以上の歳月がかかりました。南部で新しい経済政策が始まり、奴隷制は違法とされました。プランテーションは解体され、BirminghamやAlabamaの様な主要都市で各種の産業が生まれました。特に製材や繊維産業がこの時期めざましい発展を遂げ、合衆国全体も急速に成長していきました。
この頃から多くの人々が西へと移住し始めました。特にカリフォルニアで金鉱が発見されるとその勢いに拍車がかかり(ゴールドラッシュ)、更に多くの人々が富を求めて西へと広がっていきました。1862年にはホームステッド法が出され、西へ移住する人々に土地が無償で与えられました。ゴールドラッシュやホームステッド法の効果で移民が増加し、農業が大規模に発展、機械化が普及して北部の有力な市場となっていったのです。人口の増加に伴って西部の領土は州となる条件が整い、1864年にNevada、1867年にNebraska、1876年にColoradoが次々に合衆国の州として誕生しました。

国務長官だったWilliam Sewardは、1867年にロシアからアラスカを購入することを計画し、その費用として720万ドルの予算を確保できるよう議会に働きかけました。当時アラスカに目を向ける者は誰もおらず、世間ではSewardの愚行と陰口をたたかれましたが、後になってこれがいかに重要であったか人々に知らしめることになったのです。

1858年以前の郵便事情は最悪でしたが、1858年になるとSoutherland Overland Mail CompanyがMissouri州からCalifornia州間でStagecoach(駅馬車)によるメールサービスを開始しました。1860年には、馬に乗った人間がリレー形式でメールを宛名人に配達するPony Express(早馬便)をスタートさせました。1861年にはニューヨーク・サンフランシスコ間で通信ラインが整備され、電報サービスが開始しました。1862年にはUnion Pacific Rail RoadとCentral Pacific Railroadの両者が、西と東を鉄道で結ぶ事業を合同でスタートさせました。西はCaliforniaから、東はIowaからスタートした線路は1869年にUtah州のPromontoryで最終的に結ばれ、ついに初の大陸横断道路が完成しました。この時、アメリカ全土の教会の鐘が鳴らされ人々は鉄道完成を祝いましたが、こうした鉄道完成に活躍した労働者は主に中国とアイルランドからの移民たちで、その後人種的にも宗教的にも少数派として苦渋を味わいました。

合衆国の急速な発展とともに、多くの先住民(インディアン=Native American)が犠牲になりました。かつてトマス・ジェファソンが大統領だった時代(vol.5 西部開拓の時代)には友好的だった関係も次第に悪化し、西部への移民に土地を奪われ、1800年代の中頃にはミシシッピ川以西の一定地域に強制移住させられることになったのです。彼らに残された土地はほとんどなく、移民と先住民族の間で土地を巡る戦いが多発しました。戦いは合衆国軍隊との間にもしばしば起こり、軍隊が勝つと政府は先住民族に対して保護特別保留地(Reservations)を与えました。しかし、痩せた土地で先住民族たちは苦しい生活を強いられ、同じ保留地に違った部族が送り込まれることもありました。こうした保留地は、現在でも約300カ所残っています。

 最終更新日:2004年1月18日(日)
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